日本英語教育史年表 | 日本英語教育史学会

日本英語教育史年表

昭和(30年代)

 

昭和2年(1927

1月)『グループメソッド』(浦口文治, 文化生活研究会)

3月)『研究社新英和大辞典』(岡倉由三郎主幹)

5月)東大国文学教授藤村作, 「英語料廃止の急務」を雑誌『現代』(5月号)に発表 (同誌は「中等学校の英語科を何うするか」 のテーマで10月号まで特集を組んでいます。 藤村の中等学校英詰科廃止論はいたるところに波紋を引き起こし, その是非をめぐってさかんに論争が展開されました. 時代を反映してか, 廃止論に勢いがありました)

10月)東京高等師範学校英語部,「我国中等教育における外国語」を発表 (外国語学習の必要性・目的と程度・教授法など6項目にわたって論じ, 廃止論に反対しています。 一読する価値があります)

10月)東京府中等学校英語教員会, 「英語教育に関する意見書」を発表 (英語時間削減問題に反対して決議したものです)

 

昭和3年(1928

3月)『三省堂英和大辞典』(三省堂編輯所編纂)

4月)英語教授研究所主催「新教授法講習会」 (講師H.E.パーマー. オーラル・メソッドの講習で, 6月まで行われました)

6月)『齋藤和英大辞典』(斎藤秀三郎, 日英社)

10月)『英語青年』, 「中等学校英語科問題」についてを特集 (『英語青年』が, 中等教育においてどの程度の英語知識が必要か, 授業時数の最少限度はどの程度かなどについて, 主として英語教育関係者に意見を求めました。 多数の意見が翌46月号まで掲載されています。現在の英語教育を考えるうえで英語教師必読の文献と言えましょう)

 

昭和4年(1929

3月)The First Six Weeks of English (H.E.Palmer, 長沼直兄訳, 英語教授研究所。 入門期の6週間30時間の指導法を示したもので, すべてをオーラル・ワークで行うようになっています)

 

昭和5年(1930

1月)『日進英語』創刊 (佐川春水主筆, 日進英語学校)

11月)『外語教授 原理と方法の研究』(石黒魯平, 開拓社。 新教授法をわが国の実情に合うように修正・紹介した労作です)

 

昭和6年(1931

3月)『冨山房大英和辞典』(市河三喜, 畔柳都太郎・飯島広二郎共編)

11月)『英語英文学論叢』創刊 (広島文理科大学内英語英文学論叢編集室。 内容は英文学・英語学・英語教育の3部に分かれ, のち英語教育論文は『英語教育』(昭和119月創刊) に掲載されるようになりました)

 

昭和7年(1932

4月)『英語の研究と教授』創刊 (東京文理科大学内英語教育研究会編, 研究社。 本誌の後身が現在の『英語教育』(大修館書店) です)

10月)『英語学研究』創刊 (斎藤静主幹, 冨山房)

 

昭和8年(1933

4月)Business English and Correspondence 創刊 (尾崎茂主筆, 有朋堂)

10月)第1回商業学校英語教育研究会大会開催

 

昭和9年(1934

3月)三上参次, 貴族院で中等学校の英語授業時間削滅を主張 (この意見に対して様々の議論が起こりました。 10年度より高等女学校・農学校などで時間削減や廃止の傾向が現れてきます)

5月)『岡倉先生 初等英語講話』(研究社。 岡倉のラジオ講座をまとめたものです)

12月)★日本, ワシントン海軍軍縮条約廃棄を米国に通告 (わが国は国際的に孤立化することになりました)

 

昭和10年(1935

11月)『英語教育叢書』刊行開始 (31巻。 昭和12年完結, 研究社。 英語教育講座ものとしては初めてのもので, 各分野の専門家を動員してつくられました)

 

昭和11年(1936

3月)H.E. パーマー帰英 (英語教授研究所長の後任は石川林四郎)

3月)『日本英語教育史稿』(桜井役, 敞文館。 興味深い英語教育の歴史が述べてあります)

4月)『岩波英和辞典』(島村盛助・土居光知・田中菊雄共編)

 

昭和13年(1938

2月)『英語学習法』(田中菊雄, 研究社。 英語を学ぶ者の立場になって書かれていてたいへん興味深く, 生徒指導にも有益です)

3月)藤村作, 「中学英語科全廃論」を『文芸春秋』(3月号) に掲載

12月)『英語教授法書誌』(赤祖父茂徳, 開拓社。 英語教育・教授法の変遷を知る上で貴重な文献です)

 

昭和14年(1939

4月)文部省, 高校・大学予科・専門学校の英語教科書のうち自由主義・恋愛物を全面禁止(昭和10年にも思想・恋愛物の統制を行っていますが, 今回はそれを強化したわけです)

 

昭和15年(1940

3月)『基本英語学習辞典』(A.S. Hornby・石川林四郎編, 開拓社。 初学者用に編修されたもので, 名詞を数えられる名詞と数えられない名詞に大別したところに特徴があります)

 

昭和16年(1941

3月)★国民学校令を公布 (4月施行。 国家主義的傾向が強まりました)

12月)★日本, 米・英に宣戦布告 (太平洋戦争。 20)

 

昭和17年(1942

3月)英語教授研究所, 語学教育研究所と改称 (独・仏および東亜諸国語の研究も始めることになりました)

3月)各大学, 英米人教師を解職

5月)『新英英大辞典』(A.S. HornbyE.V. GatenbyH. Wakefield, 開拓社。 動詞型や可算・非可算を初めて明示した外国人英語学習者のための辞典です)

7月)文部省, 高等女学校の外国語を随意科目とし, 3時間以内とする (従来は5時間ありました)

 

昭和18年(1943

1月)★中等学校令公布 (修業年限4, 教科書は国定となり, 外国語は12年必修, 3年以上は選択と定められました)

7月)『外国語教授法』(語学教育研究所編, 開拓社)

 

昭和20年(1945

3月)★決戦教育措置要綱を閣議決定 (国民学校初等科を除き, 学校の授業を4月から1年問停止としました)

8月)★14日ポツダム宣言受諾を決定し, 15日戦争終結の詔書を録音放送 (太平洋戦争終結。28, 連合国軍の日本進駐が始まりました。 92, 降伏文書に調印)

9月)ラジオ英語講座 「実用英語会話」 開始

10月)『日米会話手帳』 (誠文堂新光社。 32頁の簡単なものでしたが, 英会話ブームにのり360万部も売れたといわれます)

11月)ラジオ「基礎英語講座」開始

11月)『時事英語研究』創刊 (高部義信主筆, 研究社)

(この年)Teaching and Learning English as a Foreign Language (C.C. Fries. オーラル・アプローチの理論と実際が述べてあります)

 

昭和21年(1946

2月)平川唯一の英語会話放送開始 (カム,カム,エヴリボディのテーマソングで始まるこの番組は全国で大評判になりました)

3月)★米国教育使節団来日 (4, 63制などの教育の民主化を勧告しました)

4月)The Youth's Companion 創刊 (林信一・櫛引万吉編集, 旺文社)

11月)★日本国憲法公布

 

昭和22年(1947

3月)★文部省.『学習指導要領 一般編 (試案)』発行。 同時に『学習指導要領  英語編 (試案)』も発行

3月)★教育基本法・学校教育法公布

3月)Let's Learn English (3, 文部省著作の中学校用教科書です)

4月)★新制小学校・中学校発足

4月)The World through English (3, 中等学校教科書株式会社著作の高校用読本教科書です)

 

昭和23年(1948

2月)『新制中学校英語教授法』(青木常雄。 同著者は翌年2月『高等学校英語教授法』も著しています。 いずれも研究社)

4月)★新制高等学校 (全日制・定時制) 発足。 新制大学 (12) 発足

7月)『新英語教育講座』(11巻。 研究社。 633の新学制実施により新しい指針が求められている時期であり, 時宜に適った講座でした。 29年完結)

(この年)★現職教員の再教育講習会がさかんに開かれました

 

昭和24年(1949

4月)Jack and Betty (萩原恭平・稲村松雄・竹沢啓一郎編, 開隆堂. かなり長い期間にわたり80%以上のシェアを占有したといわれます。 後身は New Prince Readersです)

11回ガリオア留学生出発 (267月までに約800)

 

昭和26年(1951

7月)『学習指導要領 一般編 (試案)』発行

9月)★日米安全保障条約調印

10月)全国英語教育研究団体連合会 (全英連) 1回大会開催

 

昭和27年(1952

3月)『中学校高等学校学習指導要領 外国語科英語編 (試案)』発行

4月)『英語教育』創刊 (研究社。 30年より大修館書店発行となりました)

7月)第1回フルプライト留学生293名がアメリカへ出発しました

 

昭和28年(1953

4月)『高校英語研究』創刊 (研究社)

7月)NHK「夏休みプレゼント――英語のお部屋」(テレビ英語教育番組の最初です)

7月)『英文法解説』(江川泰一郎, 金子書房。 科学的文法を基礎にした受験参考書で現在でもよく読まれています)

(この年)高校入試に英語を加えよ, の運動が盛んになりました

文部省『学習指導法 (外国語科英語編)

 

昭和29年(1954

7月)『英文法シリーズ』(大塚高信・岩崎民平・中島文雄監修, 研究社出版。 25)

(この年)★高校進学率が50%を越えました

 

昭和30年(1955

3月)高校入試科目に英語を加える県が出始めました

8月)第1回フルブライト英語教員30名がアメリカへ出発しました

12月)『高等学校学習借導要領 一般編』発行。 同月『高等学校学習指導要領 外国語科編』発行 (いずれからも「試案」の文字が消えました)

12月)加藤周一 「信州の旅から――英語の義務教育化に対する疑問―― (『世界』(12月号,岩波書店))

(この年)「役に立つ英語」 論議が盛んになりました。

 

昭和31年(1956

7月)日本英語教育研究委員会設立 (ELEC 38年に財団法人英語教育協議会と改称)

9月)C.C. Fries, W.F. Twaddell, A.S. Hornbyが来日し, 英語教育専門者会議が開かれました(フリーズの来日によりオーラル・アプローチへの関心が高まりました)

10月)文部省, 教科書調査官を設置 (検定が強化されました。33年には教科調査官を新設し,現場への指導助言を強化しました)

11月)『Pattern Practice Contrast (山家保, 開隆堂)

(この年)英語, アチーヴメント・テスト科目となる

 

昭和32年(1957

11月)『英語教育シリーズ』(石橋幸太郎・中島文雄・黒田巍監修, 大修館書店。全21巻。アメリカ構造言語学を英語教育に応用したシリーズで広く読まれました。38年完結)

 

昭和33年(1958

9月)文部省, 全国学力調査実施 (英語の「聞き方」のテストにNHKラジオ放送を利用しました)

10月)『中学校学習指導要領』告示 (2回目の改訂。 これ以後学習指導要領が法的拘束力をもつことになります)

11月)『新英和活用大辞典』(勝俣銓吉郎編, 研究社)

(この年)「百万人の英語」 開始 (文化放送, 五十嵐新次郎ほか)

On the Oral Approach (C.C. Fries. オーラル・アプローチをわかり易く説明しています)

 

昭和34年(1959

3月)『英語科ハンドブックス』(11巻。 翌年完結, 研究社)

9月)『中学校外国語 (英語) 指導書』(文部省, 開隆堂)

(この年)『新英語教育』創刊 (三友社)

高校での多読指導の研究がさかんになりました

 

昭和35年(1960

6月)『英語年鑑』創刊 (研究社)

9月)『教室英文法シリーズ』(8巻。 44年完結, 研究社)

10月)『高等学校学習指導要領』告示 (3回目の改訂。英語は必修となり, 英語は英語Aと英語B2つに分けられました)

(この年)オーラル・メソッドとオーラル・アプローチの優劣論争が起こりました

(この年)文部省に「英語教育改善協議会」発足(市河三喜会長)

 

昭和36年(1961

6月)『英語教育事典』(福原麟太郎編, 研究社)

7月)語学ラボラトリー協会 (LLA) 発足

7月)『教壇の英文法』(宮田幸一, 研究社出版)

8月)『英語に強くなる本』(岩田一男, 光文社。 短時日に100万部を実破し, 英語ブームのひとつの頂点といわれました)

10月)文部省, 英語を含む5教科の中学校全国一斉学力調査を実施 (対象は23年生。小学校, 高等学校は9月に実施)

 

昭和37年(1962

5月)『英語教授法事典』(語学教育研究所編, 開拓社)

11月)大学英語教育学会 (JACET) 創立

11月)全国プログラム学習研究連盟結成 (ティーチング=マシン,プログラム学習の議論が盛んになりました)

(この年)女子大生亡国論起こる (全国の文学部における女子学生の比率が37%に達しました)

 

昭和38年(1963

3月)『英語教師の手記』(寺西武夫, 吾妻書房)

4月)財団法人日本英語検定協会 (STEP) 発足 (8, 1回検定試験実施。 20年間に1,300万人が受験したといわれます)

12月)教科書無償措置法公布 (広域採択制なども)

12月)『英語教育――主張と独語』(石橋幸太郎, 開拓社)

 

昭和39年(1964

4月)『英語教授法辞典』(小川芳男編, 三省堂)

4月)『現代英語教育』創刊 (研究社)

6月)『現代英語教育講座』(12巻。 福原麟太郎・中島文雄・岩崎民平監修。 41年完結, 研究社)

10月)★東海道新幹線開業

10月)★東京オリンピック開催 (英会話熱が高まり, 英会話書が氾濫しました)

 


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